心の中の2つの背理

Daisukeh 2010/04/03 20:00 作成
Daisukeh 2010/04/13 19:02 掲載

2010/04/03 ブログ原稿  今日から実家の甲府に来ている。朝5:00少し前に妻に起こされて、自動車に荷物を積み込んだり、家の中のゴミを集めたりした。5:20くらいに自宅を出発、妻の運転で高速道路に乗った。途中サービスエリアで持参した朝食をとってから、再び出発した。薬のせいにする気はもうないけど、京葉道路から首都高速、そして中央道の記憶がまったくない。気が付いたら八王子インターだったが、さらに次の記憶は朧気な談合坂サービスエリアの左折レーンの渋滞だった。初狩パーキングではトイレに行った。そこから実家までは覚えている。なんだか眠ってばかりだな…

 到着して一息入れてから昼食を食べた。ちなみに高速道路の混雑具合はその時に知った。季節柄、お花見の行楽客が多かったようだ。昼食後は母が最近気にしていたという電灯のコードやそのフード、換気扇のフィルタの取り外し作業をした。帰省する前にいくつかやって欲しい作業項目がすでに挙がっていたのに、そうした作業が予想外だったのでちょっとつかれた、かな?午後にお茶を飲みながら最近のデイケアでの様子や自分の体調、先日のホルター心電計の話などをした。午後も夕方の1~2時間も、僕はウトウトと愛犬と一緒に居眠りをしていた。本当に疲れていたのは妻の方だったと思う。その妻も夕方頃にはコタツで寝ていた様子だった。夜は母が会合で留守だったので、妻と二人で夕食をとった。そしてこうして紙とペンで日記を書いている。ナグリ書きだけど。思い付くままにペンを走らせているので、後で推敲するのが大変なのだが、思考が筆記という作業を追い越して行くのが、とてももったいなく思えてしまうのだ。考えていることがたくさんあるにもかかわらず、それを表現しきれないのは大変残念なことだからだ。だが、心理面接(カウンセリング)では自分のそうした思考や観念にとらわれないようにしようという指導も受けた。ブログも含め日記は自分の思考を整理できるという点で非常に有益である一方、僕のように(?)思考作業の一部として利用しようとすると、メチャクチャ煩雑な作業になってしまうように思う。そのことが良いか悪いかという点もそうだし、果たして筆記作業が忠実に思考作業のトレースとなり得ているかという点もはなはだ疑問なのだ。こうした疑念と今僕を僕自身が困らせていること、つまり薬やカウンセリングで矯正しようとしていることは、実は対偶の関係にあって、その2つの背理が心に存在するという意味において、閉じた論理が自明だとも捉えられる矛盾した解を結論付けていることを、自分自身で薄々気がついている。いわば、メタ思考論的アポトーシスが僕の中にはあるのだろう。

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blog/2010/04/心の中の2つの背理.txt · 最終更新: 2010/04/13 19:32 by daisukeh
 

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